中学3年生のクラス替えが原因ではじまった僕の不登校
僕の中学高では1学年進学するたびに、
クラス替えというものがありました。
クラスのメンバーが一新して、フレッシュな気持ちで新学年を始める。
新しい交友関係を増やす。
いろいろなメリットを考えて行われるものですが、
それが僕の場合、悪夢の始まりとなるのです。
そうです。僕はクラス替えがきっかけで、学校に行きたくなくなりました。
そんなことかよと思われる方がいるかもしれません。
でも、僕の場合自殺を考えるほどの絶望だったのです。
というと、クラス替えの結果、
僕は知らない人たちばかりのクラスになってしまったのです。
もちろん顔は知っています。
ただ、今までそこまで深く接してきたことがない人ばかりです。
中学1年、2年と友達は多くできて、
特別に仲が良い友達もできました。
部活はソフトテニスをやっていたのですが、
ソフトテニス部のメンバーと仲が良かったです。
誰から見ても、友達が少ないとは言えないでしょう。
中学1、2年生のころはうまくやっていました。
ただ、中学3年生のクラス替えで、
偶然にもその仲が良い友達と離れてしまったのです。
もちろん知らない人ばかりだからといって、
仲良くなろうとする努力もせず
いきなり不登校になったわけではありません。
仲良くなろうと試みることはしましたが、
うまくいきませんでした。
なぜなら、いままで仲が良かった友達と
いままで僕が属していたグループと全く違う雰囲気だったからです。
雰囲気というかノリというか、
多くの人は自分の学生時代を思い返してもらえばわかると思います。
・野球部のあの独特なノリ
・サッカー部のいけてる雰囲気
・おとなしめなグループのノリ
全部違って、異質なものです。
僕はそのギャップに押し殺されてしまったのです。
でも、すぐに押し殺されたわけではありません。
僕はおとなしい性格ではないし、
コミュニケーションが下手ではありませんでした。
だから、その雰囲気に合わせることを試みたのです。
しかし、それは相手の雰囲気に合わせているわけで、、、
ということは本来のノリ、性格を持った自分を押し殺し、
相手に合わせた自分を演じているわけで、、、
苦しくて苦しくてたまりませんでした。
僕は小学生のころから、ガキ大将的な性格でした。
生徒会長もやっていたし、運動会の応援団長も自ら積極的にやっていました。
それと同時に友達との関係も積極的で、遊びをするのも僕が企画を立てたり、
中心的な存在だったのではないかと思います。
小学校では、優秀な生徒。
学校が終われば、友達をまとめるガキ大将。
そんな自分に自信を持っていたし、
中学でもやっていけると思っていました。
ただ、小学校と中学校は全く違うところでした。
僕の小学校は周りを山に囲まれたちょう田舎にある、
1学年24人くらいしかいない小さな学校です。
それが中学となると、クラスができるほど人数も増えます。
本当にいろいろな人が集まってきます。
僕のようにど田舎から来た人や、
比較的田舎ではない方から来た人。
おとなしい子や、積極的な子。
面白い子や、変な子などいろいろな人が集まってきました。
僕は小学生のときから、積極的な子に属すると思っていたのですが、
それは井の中の蛙でした。
田舎出身か、街出身かで雰囲気やたたずまいなど全然違いました。
本来の自分を押し殺すほど苦しいことはありません。
自分の中でこうしたいという意思があっても、その気持ちを押し込め、
相手に合わせるわけですから、我慢の連続です。
そんなのやりたくないにきまってます。
しかし、我慢をすることで仲がよくなるという事実。
居場所ができるという事実がありました。
だから、嫌だとわかって我慢し続けたのです。
しかし、どれだけみにくいアヒルの子(実は白鳥のひな)が、
違うアヒルにとけこもうとしてもうまく馴染めなかったのと同じで、
いつかはボロがでます。
次第に、なんだか自分だけグループに馴染めていない感じがしてきました。
我慢して合わせているのに、ついに浮いてしまったのです。
とうとう我慢の限界が来ました。
これから先こんなにも我慢して、自分の居場所を作っていかないと
いけないことに失望しました。
もう我慢はしたくない。しかし、居場所がなくなる。
居場所がなくなるなら、学校になんて行きたくない。
そう思って、僕は学校を休みがちになりました。
これが僕が不登校になった、はじまり。きっかけです。
家に引きこもる:ゲームの毎日
はじめは、なんか行きたくないし1日だけ休んでみよう。
そんな軽い気持ちでした。
うん。1日だけ。1日だけだ。ちょっと疲れたし休もう。
そう思って、母親には体調が悪いと嘘をつき休みました。
その1日は快適でした。
自分は何も我慢することなく過ごせる。
僕の家庭は母子家庭だったため、
母は仕事に行っていて休んでいても監視されることはありません。
祖父、祖母もいますが歩くのが遅いため
監視の機能は果たしていませんでした。
監視っていうか、ただ心配して見に来てくれるだけですけど(笑)
だから、ゲームができたわけですね。
それはそれは快適でしたよ。
だって誰も気にすることなく、
自分の好きなことができたわけですから。
そして翌日。
もちろん学校に行くことはできません。
学校にいったら居心地の悪い空間に戻るわけですよ。
でも、家にいれば気ままに自分の好きなことができる。
自分の好きなことができる快適な空間。
我慢しなければならない苦しい空間。
この状況なら誰でも、前者を選ぶでしょう。
学校に行かなければならない。
勉強が遅れてしまう。
もちろん多くの人はこのような不安を抱き、
後者を選ぶかもしれません。
しかし、当時の僕はそこまで考えられなかったのです。
そんなことよりも、我慢し続けることがつらかったのです。
いかにつらいことから逃げるか。
それしか頭にありませんでした。
それほどつらかったのです。
そして、翌々日もさらにその次の日も学校に行けませんでした。
1週間くらい休むと、母も不振がってきます。
もちろん心配していたからこそだと思うんですけど。
1週間も体調が悪いというんだから、
心配しないわけがありません。
もちろん、体調が悪いなんて嘘ですけど。
で、病院に連れていかれるわけですよ。
はじめは、地域の診療所。
お医者様は流石なもので、
何も異常がないと判断しました。
しかし、大きな病気の可能性があるかもと、
町の大病院を紹介してくれました。
もうここらへんで、嘘をつくことがつらくなってきます。
ここまでしてもらってるのに、嘘なんて、、、
罪悪感がものすごい勢いで生まれました。
そして、大病院へ。
CT?みたいな大きな機械を使い検査しました。
もちろん異常なし。
とうとう、嘘をつく罪悪感も限界まで来ていました。
自分の嘘で母親に仕事を休ませ、お金を使わせる。
先ほども言いましたが僕の家は母子家庭なので、
裕福ではありません。むしろ貧しい部類です。
だから、仕事を休み大金を使わせるということが
いかに家計に大ダメージを与えるか知っていたわけですよ。
そのうえそれをさせた体調不良は嘘ですよ。
もう申し訳なくて申し訳なくてたまりませんでした。
そんなことをしてしまう自分を責め続けました。
自分が嫌いで嫌いでたまらなくなりました。
しかし、嘘をつくのはやめれません。
なぜなら、やめてしまったら
学校に行かなければなりません。
また自分を偽り、相手が望む自分を演じる
つらい毎日が始まってしまいます。
このとき状況は最悪でした。
学校を休んでも母への罪悪感で苦しい、つらい。
かと言って学校に行くのも苦しい、つらい。
どちらを選んでもつらい状況でした。
かといって
人間関係で悩んでて学校に行きたくない。
なんて言えませんでした。
そんなこと恥さらしだと思ってました。
いつでも完璧をもとめた僕は、
そんな情けない自分を認めるのが嫌だったのです。
不登校なんてもってのほか。
俺は不登校なんだ。わかってる。わかつてるんだけど、
認められない。
そのことを知られたら自分の価値が下がると思って、
他人にばれないように隠す。
不登校がばれるのが怖くて怖くて、
ひやひやしていたのを今でも覚えています。
だから、家族にも相談はしませんでした。
しかし、状況は変わりません。
もうどうしたらいいのかわからず、
そんな自分がさらに嫌いになりました。
結果的に僕は母親への罪悪感を我慢することを選びました。
でも、なるべく罪悪感を感じたくはありません。
それで僕は母含め家族とのコミュニケーションを避け、
自分の殻に閉じこもりました。
優しくしてくれるのを避けたかったんです。
こんな自分を優しくしないでくれ。
そんなことしたら、罪悪感がまたでてしまう。
そう思って、自分だけの世界に引きこもりました。
しかし、状況は悪くなるばかりです。
家族が話しかけてきても無視。ほとんど接触しない。
そんな中ですることは、
ゲームをすることと、自分を責めること。
ゲームは現実を忘れさせてくれます。
ゲーム内のクリア条件とか、目標を目指すことで、
現実で何もしていない自分を正当化できます。
しかも、その目標は現実と違って簡単に早く達成できるので、
達成感や楽しさもすぐに味わえます。
こんな素晴らしいもの、やらないわけにはいきません。
現実で味わえないものを仮想世界のゲームに求めていました。
しかし、一見よいものに見えるゲームもデメリットがあります。
ゲームでいくら目標をクリアしようが、
達成感を味わおうが、楽しみを味わおうが、
現実は一ミリも変わりません。
ゲームをクリアした後、その現実が僕を襲ってくるわけです。
現実を直視しなければいけません。
じゃあ、僕はどうすればいいかというと、
そんな自分を責めるしかできません。
学校に行かなければ、家族に迷惑をかける。
わかってる。わかってるんだけど、行きたくない。
そんな自分を責め続けました。
そうするとまた現実のつらさに耐えられなくなります。
では、それを解消するためにはどうすればいいか。
ゲームです。
わかってます。その快楽は一時的なものでしかないことを。
しかし、一時的であるにしろ楽しめるのはゲームしかありません。
こうしてゲームをする→自分を責める
この悪循環が生まれました。
新たな悩み:将来に対する不安
毎日、毎日ゲームをしていました。
昼夜逆転もしました。
体も動かさないので健康を損ない、
ぶくぶく太っていきました。
一か月が過ぎてもいぜんとして、
家族への罪悪感と学校に行くことのつらさは変わりません。
毎日毎日自分を責めて、状況は悪くなる一方です。
しかもそこに新たな悩みが加わりました。
実はこの頃、当初抱いていた人間関係の不安はほとんど消えていました。
学校に長くいかなかったので、
その問題に直面することがなくなったからだと思います。
まあ実際は消えたんじゃなくて、見えないようにしただけですけど。
しかし、今度は自分が不登校だということを
他人にばれることを恐れました。
当時の僕は不登校なんて弱いやつのすることだと思っていました。
でもそんな弱いやつに自分がなっているという事実があります。
あんなに褒められたことがある俺が、
勉強ができる自分が、不登校だなんて許されませんでした。
だから、みんなに不登校だとばれることを極端に恐れました。
ばれたら、自分の価値が下がると思っていたのです。
となると今まで仲の良かった友達さえ敵になります。
むしろ、そいつらにこそばれたくなったのです。
とうとう僕の周りに仲間はいなくなりました。
ばれるのが怖いとなると学校は絶対にいけません。
だって行ったら、なんで休んでたか聞かれるじゃないですか。
それが怖くて怖くて逃げました。
それだけならまだしも、そこらへんにいる人みんなに
ばれるのが怖かったわけですから、
外出することですらできなくなりました。
当初は人間関係が原因でしたが、このころになると
自分の価値がさがるのを恐れて学校に行けなくなりました。
さらにこの頃になってようやく、
学校に行かないことの危機感が生まれました。
勉強に対する不安。
将来に対する不安。
このまま引きこもって学校にも行かなかったら
どうなるのだろう。
自慢の勉強はできなくなるだろう。
それどころか、卒業もできないだろう。
となると高校にも入れない。
大学にも入れないだろう。
もちろん就職もできないだろう。
将来に対して暗いイメージしかできませんでした。
現実として学校に行かないだめな自分がいる。
家族を困らせる自分がいる。
現実の延長として、何もかわらない未来の自分がいる。
未だに家族を困らせている。
現実をみても自分を責め、将来を考えても希望を持てませんでした。
さらに家族への罪悪感。
もうどうしたらいいのかわかりません。
目の前にあるのは、絶望だけです。
もうここまでくると、我慢というレベルではありませんでした。
そうです。とうとう僕は壊れました。
精神が崩壊し、冷静を保っていることができませんでした。
この行き場のない思いを物に、家族にぶつけました。
家族に暴力さえふるいました。
わかってます。もちろんそれが家族を悲しませることくらい。
しかし、暴力をふるい暴れているときは制御がききません。
というよりも何も考えることができなかったのです。
自分の行き場のない思いをぶつけることしか目的にないのです。
そこまで追い込まれていました。
疲れて冷静を取り戻すと、目の前には家族の涙する姿が。
そこになって、
初めて自分がどんなにひどいことをしたのか気づくのです。
なんてことをしてしまったのだ。
家族に申し訳なくてたまりませんでした。
そして、またそんなことをした自分を責めるのです。
暴れることで一時的には気持ちは落ち着きます。
しかし、変わらない現実を見るとまた不安になり、
また暴れることを続けるのです。
そんな絶望の中、少しでも冷静でいられるときに
必死に解決策を考えましました。
これ以上苦しみたくない。
家族も悩ませたくない。
でも、学校にはいけない。それ自体苦しみなのだから。
このまま引きこもっていたら、家族に迷惑かけることは
明らかだ。
でも、学校にはいけない。
将来にも希望持てない。
誰にも役に立たない迷惑な自分。
そんな自分が生きてる理由が分からなくなりました。
そして、せめてこれ以上
家族に迷惑かけることをしないように決めました。
そして1つの結論に至りました。
僕は存在してはいけないんだ。
そうです。とうとう僕は自殺を試みました。
残された手段:自殺をみる
はじめは本気ではなかったと思います。
今のつらい状況から、周りを悲しませている自分から
ただ逃げたかったんです。
でも、実際死ぬとなると怖くなり、
本気になりきれませんでした。
だから、わざと家族にわかるように
自分を傷つけたり、首をしめたり、
助けを求める自傷行為をしていました。
そんなことをしてもつらいのは変わりません。
家族はやさしく止めてくれますが、
それすら罪悪感でつらかったです。
この状況から逃げたい。
でも死ぬのは怖い。
だから長い間、中途半端な自殺を試みました。
何度も言いますが、
そんなことをしても何も変わりません。
なので、とうとう僕は決心しました。
痛いのは嫌なので、
薬を大量に飲むことに決めました。
おばあちゃんの部屋から薬を持ってきて、
とにかくたくさん飲みました。
30から40錠飲んだ思います。
どのくらい飲めば死ぬかわからなかったので、
薬がなくなるまで飲みました。
飲み終えて疲れたので、目をとじじっとしていました。
ああ、ついにやってしまったんだ。
死にたくないなあ。
まだやり残したこともあるな。
でも、これ以上迷惑はかけなくて済む。
これでいいんだ。
とは思いつつ目からは涙が落ちていました。
数分後家族が見つけてくれて、
救急車を呼びました。
薬の入れ物を床にぶちまけていたので、
わかったっぽいです。
やっぱり死にきれないって
気持ちがあったのかもしれません。
本気で死にたいなら、薬の入れ物も片づけ、
家族にばれないようにして、死んでいくはずです。
どこかでたすけて欲しいって
気持ちがあったのかもしれません。
いや、めちゃくちゃありました。
でもそれを直接口からは言えなかったんです。
言うのはいけないことだと思っていました。
そして救急車が家につきました。
救急車までよばれて恥ずかしかった僕は、
トイレに鍵をかけて逃げました。
鍵の部分を握りしめ開けられないようにしましたが、
やっぱり救急隊員はすごいですね(笑)
ものすごい力で一瞬で開けられました。
そのあとはうまく覚えていません。
救急車に乗ると、うとうとして少し寝てしまいました。
気づいたら病院。
口に管を入れられ、注射をされ、腹をおされ、
めちゃくちゃ吐きました。
もう何がなんだかわかりませんでした。
苦しくて苦しくて、自分のやったことに後悔しました。
もう何も考えるのをやめただ耐えました。
気づいたらベットの上。
お母さんが近くにいましたが、
申し訳なくて顔を合わせたくなくて、
布団にくるまり続けていました。
そんなときに、病室のドアが開きました。
そこから思いもよらない人が入ってきたのです。
ここが僕の人生の一つのターニングポイントになります。
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